真贋混淆の夜

 落雷でユキヤとミヤタの乗った電車が30分も遅れたのは、俺たちを合コンに行かせまいとする神の優しさだったのかもしれない。そんなことを思って、思わず一人で笑ってしまった。カミサマなんて信じたこともないくせに。
 違う違う、そんなことではどうでもいい。軽く頭を振って、ニセモノの笑顔を貼りつけなおして現実を見る。テーブルには飲み終えたグラスが3つ。遅れるから先に軽く頼んでもらっていいです、と連絡しておいたけれど頼んだのは飲み物だけらしい。すっきりとしたテーブルの上には俺らの分のおしぼり3つと届いたばかりの飲み放題コースのメニューが整然と置かれていた。まだ席にもついていないのに確信する。この合コンは失敗だ。
 別に女の子のルックスが酷いってわけじゃない。3人とも綺麗な人だった。ただ、綺麗なオネエサマたちだったのだ。ぱっと見、5歳ほど上だろうか。適当な安い服を着た、その辺の大学とか専門学校に放り込んだら一瞬で溶け込んでしまいそうな俺たちとは対照に、彼女らは綺麗めの、そのままテレビドラマの世界のオフィスにいそうな感じの格好で、こんな状況でもなければ声さえかけられないような雰囲気を纏っていた。5歳違うとこんなにも違うものなのか、と純粋に感心さえする。合コンの向こうの未来に俺が見ていたのは夏の海とバーベキューに水着の彼女、花火大会や夏祭り、あわよくばクリスマスやスノーボードって感じだった。しかし彼女たちが見ていたものは可愛いチャペルに白いドレス、あわよくば35年ローンのマイホームってところなんだろう。需要の不一致。それはルックスに問題があるよりも深刻な事態で、その場にいる誰もが失敗を予感しているのに始めなければいけない合コンはまるで拷問のようだった。
「すみません、遅れちゃって」
「いえ、雷すごかったですもんね」
 ひきつった表情でそんな会話をしながらミヤタが席に着く。この合コンに一番積極的だったのはミヤタで、最初は彼が好みの女の子の前に座るのを優先する、というのは店に入る前から約束していた。彼がなかなか動きださないせいで座るに座れなかった俺とユキヤはちらりと視線を合わせて席に着く。ミヤタ、俺、ユキヤの順に席についてメニューを開けば合コンスタート。まだ幕開けなのにどっと疲れが込み上げて、剥がれおちそうになったニセモノの笑顔をもう一度作り直した。
「電車はもう動いてるんですか?」
 ミヤタが選んだ女の子は同世代だったら確かにミヤタの好みのど真ん中って感じの子だった。雑誌のコーディネートをそのまま頭からつま先まで真似したみたいなモテコーデに、作られたニセモノのたれ目がキュートなモテメイク、肩までの茶色い髪は緩く巻かれていて、オシャレだけれど隙もある、いかにも男受けしそうなタイプだ。
「あー、もう少し遅れるかもしれないですね」
 ミヤタが答える。
「そっかー。帰るまでに動くといいなー」
 始まったばかりだというのに帰りの話を出したのは意図的だろうか無意識だろうか。どっちにしてもミヤタの心を折るには十分で、ミヤタは「そっすね」と言ったきり喋らなくなってしまった。あまりにミヤタが不憫なのと、すぐ隣に重い空気が立ち込めていることに耐え切れなくなったのとで俺は仕方なくミヤタに助け舟を出す。
「飲み物、何がいいですか?」
 飲み放題メニューを彼女に渡すと、彼女は当然のようにそれをこちら向きにして広げた。
「あ、がっつり見ちゃっていいですよ、俺らどうせ生中なんで」
 そう言って俺はメニューをひっくり返そうとしたが、途中で彼女の手がそれを止めた。彼女は綺麗な笑顔でメニューを閉じる。
「私もどうせ生中なんで」
 その瞬間、理解した。さっき帰りの話をしたのはきっとわざとだ。そして生中は俺たちなんて相手にしないっていう意味を持っている。もちろんビールを飲む女性がいたっていいと思うし、別にそれをかわいくないと否定するつもりもないけれど、この場合は意味が違う。だって彼女の前にある飲み終えた1杯目のグラスの淵にはオレンジスライスが刺さっている。そんな生中があってたまるか。
「珍しいですね」
「ビール飲む女が?」
 相手にされないことが分かっていた相手でも、ここまではっきり圏外と言われると悔しくて少しだけやり返してみたくなった。心にひっかき傷ぐらいは残せるんじゃないかって、意識して嫌がる言葉を選ぶ。
「いえ、2杯目からビールってのが」
 彼女の手元のグラスを指さして。
「フツー、1杯目からいきません?」
 白々しく言いながらどんな反応をするだろうかと見ていると、見る見るうちに彼女の顔はただ美しいだけの笑顔になった。
「別にいいじゃないですかー」
 そう言いながら彼女はオレンジスライスを摘まんで抜き取ると、紙くずをごみ箱に捨てるみたいにグラスに落とした。
「細かいコト気にせずに楽しく飲みましょう?」
 ぞくぞくと寒気が背中を撫でていった。笑みの形に細められた目の奥の瞳は凍ったように冷たく、少し鼻にかかった甘えた声は抑揚がほとんどなく機械のようだった。完璧なモテコーデモテメイクと、無機質な瞳や声との違和感が不気味さになって恐怖に変わる。俺の隣ではミヤタも肩を強張らせていた。
「そうですね、楽しい夜にしましょう」
 白旗を振って俺は彼女の前のグラスを店員が下げやすい位置に置きなおす。グラスの底のオレンジに心の中で語りかける。怖い女だねぇ。オレンジは何も言わずにくたびれた顔をしていた。

 その怖い女は松川雛子と名乗った。漢字を聞いたら面倒くさそうに「お雛様のヒナに子供のコ」と答えた彼女はまあまあ珍しい俺の名前には少しも興味を示さなかった。相変わらず俺は圏外みたいだけれど、楽しく飲もうと言った彼女の言葉に嘘はなかったらしく、ビールが運ばれてきてからの彼女はずっとにこやかで、どうでもいい話にけらけらと笑って清々しいほど豪快に中ジョッキを空にし続けた。
 テーブル全体でも飲み会としては楽しく時間が過ぎていき、いつの間にかコースメニューはシメのパスタになっていた。何度か席がかわるうちに俺の席は雛子さんから一番遠くになってしまっていた。
「私、ここのカルボナーラ好きなんだよね」
 そう言いながらパスタを取り分けている彼女はカシスオレンジを飲んでいた。随分前に下げられたはずのオレンジスライスを思い出して、ちらりと雛子さんの方を見る。雛子さんは俺の対角の席で顔色さえ変えずにビールを飲んでいた。
「このぐらいでいい?」
 差し出された取り皿の上にはパスタが綺麗に盛られていた。店員さんが持ってきた大皿をそのまま縮小したみたいで、ベーコンと黒胡椒がバランスよく散っていた。これが女子力というやつなんだろうなぁ、と普通に感心する。
「ありがとう」
 受け取ってもう一度ちらりと雛子さんを見た。雛子さんは自分の取り皿にパスタを取り分けている。自分で食べたいだけ取った方がいいでしょう、なんて声が聞こえそうでまったくもって合理的。雛子さんからトングを受け取ったユキヤが自分の皿にパスタを盛っているのを見て、ユキヤも圏外か、なんて安堵した自分に驚いた。いやいや、1時間ほど前には怖い女だと思ってたじゃないか。そう思っても、じわじわと広がる馬鹿みたいな妄想が止められない。このパスタを取り分けたのが雛子さんだったらよかったのに、なんて。
 もし今日の合コン相手が俺たちじゃなくて30歳の公務員とかだったら、雛子さんは2杯目も可愛いカクテルを頼んでたんだろう。綺麗にパスタを取り分けて、完璧な笑顔と甘えた声で酔ったふりぐらい見せてたのかもしれない。
 相手にされてない悔しさで意地になっているにすぎないと言われたら否定はできない。だって俺は今、当たり前みたいに雛子さんの取り分けたパスタを食べている空想の中の30歳公務員に嫉妬している。偏らないように取り分けられた黒胡椒や綺麗に散らしたベーコンは、雛子さんがやったのだとしたら女子力なんて安い物じゃない。それは雛子さんの好意であり好かれたいという雛子さんの下心だ。取り皿の中に縮小されて再現されたそれはラブレターと言っていいくらいの代物なのに、空想の中の公務員は気づきもせずに食べ終えた。
 絶対に俺の方がいいと思うよ、雛子さん。
 そんなことを考えながら、デザートの話で盛り上がるテーブルの下で終電を調べる。このまま終わらせはしない。最低でも連絡先は聞きたい。ほんの少しでいいから男として意識させる。なんでもいいから雛子さんに好かれたい。
 おろしたてのワンピース。いつもより時間のかかったメイク。ちょっとだけ高いピンヒール。いつもの彼女に紛れこんだニセモノの彼女を俺は見逃さないだろう。器用じゃない彼女が纏う分かりにくい「好き」を集める日々はきっと素敵だと思う。会いたいという電話越しの声がいつもより少し甘えているなら、槍が降ろうが海外だろうが仕事があろうが俺は行く。俺を息子のように可愛がって、俺の結婚式でスピーチをするのが夢だと言っている社長だから多少は許してくれるだろう。
 苺のムースを口に放り込むと、甘酸っぱさが舌の上で融けていく。これはやっぱり恋だろう。確信とともに見つめた意中の姫君はスプーンに山盛りのクリームを大きな口でぱくりと食べた。落雷によるダイヤの乱れはさすがにもう解消済みだろうから、終電までは1時間半。多分すでに帰る気の彼女をどうやって引き止めるかを必死で考える。

 2次会なんて単語を誰も口に出さないまま、店の前で俺たちは別れた。早すぎる解散を惜しむそぶりさえ見せずに女子たちは駅へ向かって歩き出した。俺は慌てて、細いヒールでふらつきもせずに歩く後ろ姿を追いかける。
「雛子さん」
 驚いた表情の雛子さんが振り返る。一緒に歩いていた他の女子も一緒に足を止めたけれど、すぐに手を振り駅に向かう人たちに紛れて去った。
「もう少し飲みませんか?」
「私と?」
 訝しそうな顔で雛子さんが首をかしげる。無理もない。よく考えたら合コンの後半はほとんど話していないのだから。
「俺、もう少し飲みたい気分で。雛子さん強そうだし、一緒にどうかなって思ったんですけど」
 ニセモノの笑顔で、ばれないでくれと祈りながら口にしたのは必死で考えた口実だった。雛子さんは俺の頭からつま先までをゆっくりと眺める。空港のゲートをくぐるときのような緊張感が俺を包む。
「いいよー」
 のんびりとした口調で雛子さんはそう言って俺の横に並ぶ。
「私、多分まだまだ飲むと思うけど、割り勘でいいならね」
「お、俺もまだまだ飲み足りないんで!!」
 歯を食いしばって、ふらつく足に気合を入れた。「アモーくん強いんだねー」と棒読みで笑う彼女は、俺が最後の方でウーロン茶を頼んでいたことにきっと気付いている。少し気持ち悪いし、情けないし、格好悪い。でもそんなことはどうでもよくなるくらい楽しくて、どのお店にしようかって子供みたいにはしゃぎながら雛子さんの手をひいた。「この店よさそうですね」なんて財布的にも肝臓的にも少し無理をしているニセモノの俺の姿が、雛子さんの目に格好良く映っているといいと思う。そして願わくば、この夜が少しでも長く続きますようにと思う。